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JTJ物語 (17)


創設開拓期のまとめ

 「日本のクリスチャン人口1%。礼拝出席者人口0.2%。信仰告白者4人の中で1人しか教会にとどまらない。なぜか?」課題は、伝道以上に、教会自体の刷新・改革にあります。教会が変わらなければ、リバイバルが来ても、1千万救霊があっても、ざるで水を汲むようなことにならないでしょうか。  日本にも教会成長のケースは少なくありません。しかしわずかな例外を除いて、それらは人の動きの大きい都市圏に集中し、例外なくカリスマ的指導者が中心になっています。だれでも・いつでも・どこででも、信徒たちだけで教会は成長できないものでしょうか?この原理と方策の確立が急務ではないでしょうか。

 以上のような問題意識の下に、1980年から「青年宣教大会運動」を全国的に展開して10年後、徹底を計るため、だれでも・いつでも・どこででも学ぶことができる教育機関として「JTJ宣教神学校」の設立へと導かれたのでした。

開校から5年、自立を確立  こうして、短い11か月の準備期間を経て、1990年4月、私たちは開校に踏み切りました。その後、入学者の増加とともに、教室と事務所とが一つになる必要に迫られ、開校の年、1990年の秋には、新宿上落合の地下100坪を借りる経済的見通しもつきました。 1991年4月から「女性のための生涯学習部」を発足しました。
 1992年7月から、当初からの懸案であったフルタイムの事務局長・恩田みどり先生を迎え、学校としての事務体制が整いました。
 こうして発足から5年、税理士の先生の指導の下で、専門学校と同じ立場の「みなし法人」として認められる体制も整い、税金も納め、事務スタッフのみなさんには一般の会社なみに近い給与を支払うことができる力をつけました。年ごとの入学者の数も安定し、理想として掲げた、献金をお願いしない神学校として、経済的自給・自立の安定路線が固まりました。主にある多くの方々の祈りと応援/支援により、この調子を維持し、継続すれば[順風満帆(まんぱん)]、JTJ宣教神学校の未来がしっかりと見えてきました。もちろん、中野、後藤、岸は無給奉仕、時間講師にとどまる条件で。
 開校から6年、緊張と集中の、それこそ夢中の年月でした。今、この働きは軌道に乗りました。「よくやった。よくやれた。これは私たちの戦いではない。エホバの戦いである。JTJの代表は、主ご自身である。私たちは主のしもべである。」何はともあれ、ヤレヤレと胸を撫で下ろす心境でした。

顧みて思うこと

 (経済的自立のためには、年間110名の入学者が最低必要条件です、実に不思議なことですが、20年間、このラインで推移してきました。必要が生じると入学者は増え、決して余計な増加はありません。これは主ご自身が運営されているのです。「かめの粉はつきず、つぼの油はなくならなかった。」(T列王17:16) 入学して下さった多くの方々に、心の底からの感謝をお伝えしたいです。中途、休学や退学を余儀なくされた方々には、いつの日にか復学して、心おきなく学んで頂きたいです。卒業を目指して頂きたいです。みなさん、お一人お一人のお陰で、学校はここまで生き抜くことができました。)

青天の霹靂(へきれき)

ここで突如、祝福の突風が吹きぬけました。金奉任氏(現・金山良雄氏)から投げこまれた、安泰の夢を破る一撃でした。「JR高田馬場駅から徒歩1分、ビルの2階の118坪を契約するから、引っ越しませんか。」という提案でした。家賃は月100万円を越えるわけですが、JTJは半額でよい、残りは金奉任氏が個人で支払いましょう、というありがたい話でした。落合の地下室とは、立地条件が月とスッポンほども違います。金奉任氏は、長い間の祈りであった「家族・親族の救いのための新しい教会開拓」(東京友愛キリスト教会・現上野の森キリスト教会)を、その教室を使って開始する示しを主からいただいていたのでした。こうして、分、不相応ですが、落合の半地下から、さんさんと陽光が差し込むビル2階へ移ることになりました。創立から5年、1994年晩秋のことでした。

[JTJ物語はしばらくお休み致します。]




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