JTJ宣教神学校は、自分を愛することを学び、隣人を愛することに生きる。 JTJ宣教神学校はいつでも入れます
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JTJ物語 (2)


 JTJ宣教神学校が誕生してきた背景として、3つの要因がありました。


 一つは、僕が35歳から、ライフワークとして取り組んできた巡回伝道者としての働きです。1%と0.2%の壁を破るため、全国の諸教会の伝道に協力させていただいて、クリスチャンが増えていくこと、教会の刷新とか成長に少しでも協力すること。単純に素朴にそのように願い、心を熱くしました。そうして10数年、夢中で取り組み、思いました。「このペースであと30年、巡回を続けても、ぼく個人としては多忙なスケジュールで充実して戦っても、日本の教会に何の変化もないだろう。個人的巡回だけでは解決にならない。何をすべきか?」
 それは、ある種の無力感であり、あせりでした。



 二つ目は全国青年宣教大会の限界でした。ぼくが36歳の時のことでした。
 「青年たちに宣教のヴィションと宣教の方策を提供して、献身の生涯へと引き上げることこそ、日本のキリスト教会を変革する力だ。  青年にヴィジョンを!青年に備えを!青年に献身を!」
 そして30代の牧師仲間たちに呼びかけ、偏らない超教派でこの大会を開催しました。やがて、千人、千五百人が集まるようになりました。そして北海道、西日本、四国、環日本海にも大会が広がり、他の教団・教派でも独自に同じような大会を始め、それは一種の青年宣教大会運動のように展開していきました。そして10年、また考えました。
 「成功した。充実している。満足度も高い。しかし、1年に1回、2泊3日。これだけでは、焼け石に水。1%と0.2%の解決にはつながらない。何をすべきか?」
 三つ目は、テレビ伝道の挫折でした。構想としては、まず標準語の番組を作る。それから、全国各地で説教者をたてて、説教の部分を各地の方言に差し替え、各地方局から放映する。教会には献金を依頼しないで、番組に企業のCMをを入れて自立採算とする。タイトルは「ほっと、ホームタイム」サンプルのビデオもでき上がり、実現手前までいったのですが、突如、スポンサーの中心的な会社が傾いたり、賛同者に迷いが出たりで、結局は、頓挫に。ところが、賛同者に配るために作ったサンプルビデオが、挫折感の中で、ひらめきになりました。
 「ビデオによる、通信制の神学校ができる!!!」


 当時、40代のちょうど真ん中あたりであったぼくは、巡回伝道者として残る30年、1%と0.2%に挑戦して、何をすべきか、大いに迷い、失望もし、悩みました。


 こうして、1989年、4月22日。主イエス・キリストご自身が、新宿のホテルの朝の衝撃的な瞬間を備えてくださったのです。  「●ビデオによる通信のある神学校を。●だれでも、いつでも、どこででも学べる神学校を。●召命がなくても、勉強したい人は誰でも学べる神学校を。●仕事をやめないで、家族から離れないで、●居ながらにして学べる神学校を。●毎年1,000人の卒業生を送り出せる神学校を。」
 「社会で活躍する粘り強い優れた信徒たちに、人生の三分の一は、思いきり教会と宣教に献身できる道を開くのだ。学生が納める受講料で経済的に自立する神学校は、ビデオによる通信でなら可能だ!これなら1%と0.2%に挑戦できる!」
 その朝、主イエスさまが、ぼくの肩に手を置いて言われたのです。
 「岸君。これで行きなさい。この働きを、君に任せます。たのんだぞ。」と。


                                                            つづく



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